勝てない相手
かなわない、と思ってしまう瞬間がある ―― 「公瑾さん。」 名前を呼ばれて顔を上げた瞬間、ぶつかった花の視線に、ぎくりとした。 「なんです?そちらの書簡の整理は終わったのですか?」 しかし動揺した内心は綺麗に包み隠して、いつも通りにそう告げた・・・・はずなのに。 いつもなら、慌てたように自分が作業していた机に戻るはずの花は、今はじーっと公瑾を見据えたままで。 「花・・・・?」 どうしたのですか、と意図的にいつも通りの表情を貼り付けて問うた瞬間、花の手が有無を言わさず公瑾の頬を捕まえた。 「なっ!?」 両頬に柔らかく暖かい彼女の手の感触を感じた途端、心拍数が跳ね上がって思わず公瑾は身を引きかける。 が、花はそれを許さず。 「何をして、」 「ちょっと黙ってください。」 ごく希にしか聞かない、けれどいかにも彼女らしいきっぱりとした口調で公瑾の言葉を遮った花は、こともあろうか、こつん、と額を合わせてきた。 「っ!」 焦点も合わないほど近くに見える花の顔に公瑾は思わず息を飲む。 (これは、いったい・・・・) どうしろと、と思った刹那、ぱっと花は離れて。 「やっぱり、熱があるじゃないですか!」 「・・・・は」 半ば怒ったようにそう言う花を見上げて、公瑾はやや中途半端な声を出してしまった。 (熱・・・・?) ということは、もしかして。 「・・・・今の行為は熱を測りたかったのですか?」 「そうですよ。」 それ以外に何が?とでも言いたげに頷かれて、公瑾はがくっと椅子に沈み込んだ。 (いえ、確かに花があれだけ堂々と触れてきたのだから、色めいた仕草でないことぐらいは想像がつきますが・・・・) だかしかし、いろいろ動揺してしまった自分が少しむなしい。 などと公瑾が考えている事におそらくまったく気づいてはない花は、わずかに怪訝そうにしながらも、憮然とした表情で公瑾を見つめてきた。 「なんだか様子がおかしいなって思ってたんです。熱があったの、隠してたんですね?」 「それは・・・・」 違うと反論しようとして、公瑾は言葉に詰まった。 確かに朝からだるさを感じていた。 けれど玄徳軍との同盟がなったとはいえ、まだ三国の均衡が安定しない今、公瑾には仕事が山積みだ。 だから、あえて熱があるか確かめようとしなかった。 体調不良を花に告げようともしなかったから、隠していたと言われればそうなのだろう。 もちろん、都合の良い言葉で花を丸め込もうとすることはできる。 けれど結局、公瑾の口から出たのは。 「すみません。」 弁明ではない一言の謝罪に、花はやっぱりと悲しげに眉を下げた。 そして挟んで向かい合っていた机を回り込んで、公瑾の隣に立つと。 「今日の仕事はもうお終いにしてください。」 「しかし・・・・」 「体調が悪い状態で仕事をしたってはかどらないし、思わぬ失敗をするかもしれないでしょ?」 「それは・・・・」 そうですが、と曖昧に頷きながらも渋る公瑾に、花は小さくため息をついた。 そして成り行き上筆を置いた公瑾の手に、そっと自分の手を重ねる。 「花?」 「・・・・公瑾さんが苦しい思いをしたりするのは、私が嫌なんです。だから、私のために休んでください・・・・って言ってもダメですか?」 「っ」 花の繰り出した策に、公瑾は絶句した。 恋人にこんなことを言われても突っぱねられる男がいたら、いっそお目にかかってみたい。 花らしい、優しくて効果的な策に違いなかった。 「・・・・わかりました。」 降参のため息と共にそういうと、花は目に見えてほっとしたような顔をする。 それがなんだか少し悔しかったので、抵抗がてら自分のてに重なったままだった花の手を捉えて公瑾は言った。 「ただ、休めというのなら、当然、貴方が看病してくださるんですね?」 「へ?」 「日中は急を要する用事が発生する可能性がありますから、私は城を離れられませんし。ここで休むなら女官に世話をさせるわけにはいかないでしょう?」 だから、当然看病は花の役目だ、とばかりに見つめると少しだけ花は目を丸くして。 ・・・・ついで、赤くなるかと思っていた公瑾の予想は大きく裏切られる事になる。 なぜなら花はにっこりと嬉しそうに笑ったから。 「―― 」 それがあまりにも綺麗な笑みで、思わず目を奪われる公瑾に花は握られた手を逆に引っ張って公瑾を立たせると、執務室に置いてある簡易の寝台へと連れて行く。 そして公瑾を寝台へと押し込むと、ほんの少しだけ躊躇ったようなそぶりを見せた後。 柔らかく、公瑾の髪を撫でて言った。 「ごめんなさい。」 「?なぜ、謝るのですか?」 「その・・・・公瑾さんの看病ができるって少し嬉しかったんです。公瑾さんが苦しいのに不謹慎ですよね。」 「ですから、それほど辛いわけでは・・・・」 一応反論を試みようとした公瑾の言葉は、花の笑顔一つに消える。 「それじゃ、私、子敬さんに事情を説明して、看病に必要なものもらってきますね。」 そう言って花は立ち上がった。 その瞬間・・・・思わずその袖を掴んでしまったのは、情景反射だと思いたい。 「え?」 「っ!なんでもありません。早く行ってきなさい。」 慌てて手を離して花に背を向けるように体を横にした公瑾の耳を優しい声がくすぐった。 「・・・・はい!」 元気の良い返事と共に花が部屋を出て行く気配がして。 「・・・・はあ。」 ―― どうにもこうにも、顔が熱くてしかたないのは熱のせいだと思うことにした公瑾だった。 〜 終 〜 |